概要
劇団四季と感慨
最初は学生によるアマチュア的色彩の強い劇団だったが、次第に職業劇団へと変化、1967年に法人へと改組され四季株式会社となる。「四季」と名付けたのは、俳優・演出家の芥川比呂志である。ちなみに、創立メンバーである浅利たちは、彼らが愛読していたT・S・エリオットの長編詩から着想を得て、「荒地」という劇団名を考えていたが、若いときはよいが40になったときに「荒地」ではどうかとの芥川の指摘で、当時、フランスで活躍していた劇団・テアトル・デ・カトルセゾンから「四季」とした。芸術性を優先して日本人による創作劇を連続上演して経営危機に陥ったり、生活を支えるためにアルバイトを優先する劇団員とそれを批判した劇団幹部の対立によって内部分裂の危機に見舞われたりしたが、安定した集客力をもつ高水準の芝居を上演することで、公演だけで法人運営が成り立ち劇団員も生活できる経営を志向するようになっていく。
「四季メソッド」という母音をはっきり発音する独特の朗唱法を使用している(母音法)。舞台上から観客の耳へと台詞がはっきり届くよう生み出された発声方法だが、“明確に伝えようとするあまり台詞に感情が無い”と、この発声方法を嫌う演劇関係者や観客もいる。
東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)、(仙台市青葉区)、静岡市民文化会館(静岡市葵区)、上野学園ホール(広島県立文化芸術ホール)、(広島市中区)にて数週間から最長半年程度のロングラン公演が定期的に行われている。それらの公演は全国公演とは別に新都市公演と銘打って開催されている。また常設公演を終了した福岡シティ劇場からリニューアルしたキャナルシティ劇場(福岡市博多区)に於いても1年当たり数ヶ月に渡る公演を2011年より行っており、新都市公演とほぼ同等の扱いとなっている。
劇団四季といえばライオンキングだが、動物たちの王国、プライド・ランド。その王として尊敬を集めるライオンのムファサは、息子であるシンバに、自然界を支配するバランス、サークルオブライフ(Circle of life)について、また王としての心構えについて教える。しかし、目下のところやんちゃ盛りの子供であるシンバは幼馴染のナラと遊んでばかり。そんな中、シンバが王になる事を望まないムファサの弟スカーは、ムファサ親子を亡き者にしようと画策する。そしてムファサは殺され、シンバはその死の責任を負わされて王国から追放された。
劇団四季とインターネット
劇団四季とインターネットの関わりはあまり無いように思える。しかしながら、テレビなどで盛んに劇団四季の公演作品が紹介されたとしても、なかなか実際に見に行こうと思うまでには至らない時代もあった。それは、公演チケットの取得の方法にある。つまりは、実際に見に行くためには興味を持った後に、チケットを手配するという大きなハードルが存在していたので、なかなかそこまでして見に行きたいと思う層が少なかったのである。例えば知り合いがチケット取得し、誘われて一緒に見に行くというパターンはよくあった。その後インターネットの発展により、チケットは容易に取得できるようになり、幅広い層のお客を動員できるようになったのである。